今日もあしたものびのび。

Yukkoが思ったこととか日々のこと。アートだったりアートじゃなかったり。

障害者手帳を持っていたら普通じゃないんですか?

 

こんにちは。

 

仕事はないけど時間はあるので吐き出しがてら書きます。

もうほんと、自己満足に近いだろうけれども。

 

 

障害者手帳をもつ私は「死んでもいい命」?「働かざる者、食うべからず」の日本は生きにくい。 | ハフポスト (huffingtonpost.jp)

 

 

小林エリコさんの記事を読みました。

 

私は生活保護を3年間受けていた。恥の感情が体の中に染み込んでいく日々 | ハフポスト (huffingtonpost.jp)

 

 

 

私は精神福祉手帳を持っています。

いわゆる障害者手帳

今年の6月に取りました。

 

 

このテーマについて、本当に最近

身近に起こったことで考えさせられることがあって、

というのも父親にこの案件について憤りを感じるようなことを言われてしまって。

 

 

私の父親(もしかして母もかもしれない。母は父の金魚の糞みたいな考えをするから)は「障害者手帳を持っていたらそれは普通じゃないんだ。うちの娘は普通じゃないのだ」「だから〇〇くん(彼)のご家族に娘がどう映るのかが心配なんだ」

 

と言われてしまったんですねえ

 

 

もう私はショックでショックで。

彼もショックでショックで。

 

 

これ、人類の9割くらいはこういうふうに思ってるんですかね?

海外の障害者さんたちがどのように思われているのか、また福祉のシステムについてはよくわからないのですが

でも私のように摂食障害をもってるとか、うつとか、いろんなものを抱えて生きているひとたちは当然いるわけで。

 

人類がそうなのか、あるいは日本という国がそうなのかはわからないけれど、

手帳を持っていたら普通じゃないという人がたくさんいるのだとしたら、

それはとてもかなしいことだし、

どうしてそういうふうに考えるのだろうと思います。

 

私は活動的ではないので

手帳を持っていても堂々と生きられるように日本を変えていくんだ!みたいな

行動はできないのですが。

 

 

私が思うには、

「普通じゃない」「普通である」

って考える事自体がなにか違和感というか、

こっちの枠かそっちの枠って考えることってつらいしなんかきついし

 

障害者手帳を取得してそのサービスを受けることは

病院に行くために保険証をもらって

風邪をひいたから病院に薬をもらって飲む

みたいなことと変わりないと思うんです。

 

必要でそれをしたほうが楽になって生きやすくなるなら

もらっておけばいいんじゃない?というような。

 

なんでそれで普通か普通じゃないかって、判断されなきゃいけないんでしょうか。

 

 

でもこうやって私が憤ったってことは

普通じゃない認定をされて(それも父親に)悲しかったからであって。

つまり裏を返せば普通でありたいと思っているということなのか....

 

ちがうな、

普通でありたいとは思っていないけど、

普通でなくありたいとも思っていない。

そもそもそういう枠組みで物事を考えるのがすきではないし、

この世界はそのようなもので成り立っているとも思っていないので、

それを家族から強要されたことが悲しかったと同時に腹がたった

 

という感じですね。

 

 

まあ私の父親は元がちがちの公務員、校長先生でしたので、

仕方ないです。仕方ない。

 

 

私はもう今よりも元気になろうとも思っていないし、

手帳を返還することを目指してもいないし、

ばりばり働こうとも思っていません。

 

 

社会から必要とされたいとも思っていない。

 

それでも生き続けられているのは

自分の存在を必要としてくれているパートナーがいるからかもしれないし、

ご飯を食べて寝れればいいとも思っているからかもしれない。

 

なにかができるから必要とされている、

それって目に見えるものではないですよね。