変化することと軸を持つこととなにかを貫くこと
一体私はどうしたいのだろう
と、自分に問うたことはありませんか。
私はたくさん問うています。
わからないからです。
とりあえずご飯が食べたい。とりあえずお風呂に入りたい、寝たい。栄養のあるものが食べたい。
全部生理的な欲求ですが(どれも大事だけど)、
一日の中でこういう欲求はあります。
でも今回言っているのはこういうことではなくて、
自分はどうなりたいのかということです。
私は今25歳ですが、精神的には大学生ぐらいなんじゃないかと思うことがよくあります。つい大人ぶってしまうのですが。
まあ病気で時間が止まっていたときを加味すると、うなずける年齢ではあります。
それを受け入れられているかというと、正直半々です。
年齢を若く見られることが多いですが、これは私としては悲しいです。
どうしたいか というのは経験を積むごとに変わって行きませんか。
私はとても変わります。
変わることっていけないのでしょうか。
私はずっとそれはだめだ、決めたことは達成しなければならないし、こうすると決めたらこうするのだ、それをずらしたらいけないことなのだ
と思って生きて来ました。
でもそれってめちゃくちゃつらい。
なんだかわからないまま安定しているからと言う理由で薬学部を目指し、
化学がだめだとわかると臨床検査技師を目指し、病気になってからは管理栄養学部を受け、結局心理学部に入る。でもそれは自分が考えてもいなかったような大学で。という道をいったので。(その大学が悪いというわけではありません)
前回の目標をつくらない話とも繋がりますが、
そのとき何かを見据えていても、それはそこから見える景色なのであり、
実は全然違う世界があって、そこはとても素敵なところかもしれない。
そしたらその素敵な世界を知りたいと思うし、そこから派生していろんなものが見えてくるかもしれない。
もちろん逆もありますが。
だから無理してしんどいところにいなくてもいいと思う。
これって、軸がないんですかね。
私はなにか一貫して思っていることなにもないのかな。
他人からの意見、みられている自分って意識したほうがいいようで意識しなくてもいいようで意識したほうがいいようで....の無限ループのような気がする。
答えはない。
私は何かを貫いている人が好きです。
趣味柄音楽家とか画家とかになってしまうのですが。
それはきっと私にはない要素をもっているからで、尊敬します。
あと苦しんでいるところもすきだ。
なにかについて意見をききたいときも、必ずと言っていいほどいろんな意見があるし、
僕は赤だ、僕は黒、私は緑というようにいろんな声があります。
どれを選んだらいいかわからないしどれも素敵に見えるしどれも悪いようにもみえる。
違う色を選ぶことも素敵だし貫くことも素敵だ。
私はどうしたいのだろう。